久しぶりに面白かった本 上野千鶴子編 『脱アイデンティティ』

私が面白いと感じる本は、たいてい、その本を手にした時の自分が抱えている問題に解を与えるべくキーワードを、より理論的に説明する本。

脱アイデンティティ

脱アイデンティティ

序章を書いた上野千鶴子氏以外は、それぞれの専門に関連する具体的な例を用いて「アイデンティティ」について考察をしている。それらの論文一つ一つ、内容一つ一つに対して、正しい/正しくないなどの突っ込みを入れるよりも、一貫性があると信じられてきた「アイデンティティ」の言説の矛盾を暴く術(理論や視点)を学ぶことに重点をおきたいものだ。


(感想)

  • 自己のアイデンティティが他者の関係の中で形成されるものであり、しかも常に揺れ動くものであることに意識的・自覚的ではない人は、自分のポジショナリティにおいても同様に無自覚である*1。そのため、自分の置かれた場所における立ち居地を問わないばかりか、(高度経済成長期以降に広く浸透した)「自分らしさ」の神話や「自由」を信じるあまり、また、その探求を正当な権利としてふるまうあまり、他者がどうなろうともどうでもいい、というような感覚が発生している*2。それは、あまりにも動物的すぎる行為である。
  • 私は、自分の行動を外から、まるで幽体離脱をしているかのように客観的に眺め、評価する癖がある。また、状況に応じ、その場において自分に適切な「役割」を担うこともある(たとえ不本意でも)。それは、行動と本音が乖離しているわけではなく、私は複数のアイデンティティを持っているということなのだ。外から眺める自分や、「役割」を役割として選択し、どう行動すればよいか指令を出す自分というものは、統合をつかさどるアイデンティティ大きな物語アイデンティティ)である。よって、常に私は複数の小さな物語のアイデンティティを持ちながらも、自分自身が分裂することなく統合された一つの人間として生きている。

*1:ということをありありと見た

*2:ということを他者から経験した